期待値を下げることで日常的に抱える問題の数や質を落とすことができるかもしれない。同時に、自分自身が何を期待していたのかも見えてくることがある。
なぜ期待値を下げるほうがいいと思うのか
辛さや苦しさはギャップから
「問題解決プロフェッショナル」によると、問題は目標と現実の間に存在しているものであるということを学んだ。なので、問題が多い、問題が大きいなどは、目標と現実が乖離していることから生まれているのだと思う。
ただ、問題が多い、問題が大きいということがダメなのではないと思っている。それよりも目標が現実的じゃないことが一番の問題なのではないか?と思う。
目標を現実的にすることで多くの問題を下げることができる。
問題が変数だと終わらない
現実的じゃない問題を掲げるのは良いことだと思うけど、いつまでも届かない目標を掲げるのは問題を再生産することになるし、問題を解決しても問題が減らないとなると、学習性無力感によって問題に向かう意欲を奪う。
目標は動かないほうが良い。逆に言えば、目標を動かす要因は取り除いたほうが良くて、その要因が”期待”だと思っている。
未来に期待をするのは良い事だと思うけど、期待だけが膨らむと目標が現実離れして問題が消えない日常になると思っている。
期待値を下げることを試して思う事
抵抗感が沸き上がる
期待値を下げるということを意識的に行うと、いい面と悪い面を両方味わえる感覚がある。
良い面は気持ちが楽になる。今のままでもいっか…という自己肯定感的なものが高まる気がする。でも、今のままではダメだろ!という否定感も存在感を増す。
恐らく、否定感は今までの自分のスタンスからの叫びなのだとは思う。
今のままではよくないだろ!というのは確かにその通りだと思う部分もあるので、期待値を下げて今を良しとする自分への抵抗感が出てくるのは仕方がないとは思う。
ただ、期待値を下げることを意識的にやってみてわかったことがある。
期待=他者への甘えだったかもしれない
自分の場合、期待感というのは自分自身への期待ではなく、他者への甘えだった可能性が非常に高い。
誰かがなんとかしてくれる、誰かが助けてくれるだろう、誰かが認めてくれるだろうという”誰かへの甘え”が根底にあり、それを期待と呼んでいたように感じる。
だから、厳密にいうと、”他人に期待するのはやめる”ということ。これを起点にすべきなんだろうな…ということを実感している。
学び・教訓
目標が非現実的だと問題を再生産し続けるのでいずれ自分の心が折れる。だから目標を現実的にするために期待値を下げるというのはある一面では成功だと感じた。
ただ、期待値を下げるというアプローチをとることによって、自分の中では他者への甘えを断ち切るという意味合いを持つと言うことも発見できた。これは逆に言えば、問題を抱えているから助けてくれと他者にアピールするために問題が必要だったのでは?という見方ができなくもない。
他者への甘えがなくなると、全て自分で解決しなければいけない。それはつらいので期待を捨てきれない。
そういうことなのかもしれない。
そして、その甘えを捨てきった時に、現実的な目標を立てることができるのかもしれない。