本を読むことが良いとされているし、そこに異論を唱える人も少ないと思う。おそらくそういう研究論文も多数でていると思う。
本を読むことが自分の良い状態を作るうえでも非常に役立つよねってことだったりする。
AIと本を読むこと
AIは大量のデータから学ぶ
同じ情報を何度も浴びることで、強化していく。
これは最近読んだ「人工知能は人間を超えるか」で書かれているディープラーニングという機械学習の概念を語るものなんだけど、AIの成り立ちについて学べば学ぶほど、人間がどうやって学習していくのかを知ることができて、不思議な感覚にもなる。
AIは脳みそがモデル
そもそもとしてAIは人間の脳みそをモデルにして、それを機械で再現しようとしている。
脳内の神経細胞のつながりが脳機能の向上の土台だけど、それをコンピューターでも再現しようということでディープラーニングという概念が生まれ、実践してみると非常に優秀なAIが作れそうだということがわかってきた。
みたいな話なんだけど、そのディープラーニングでは、たくさんのデータを用いて学ばせるという工程が不可欠になっている。例えば大量の画像を見せて、その画像の共通点を認識させ、似た特徴を持った画像を見たら「○○だ」と判断できるようにするというもの。
AIが人間の脳の発達をモデルにしているので、当然ながら人間の学習工程もこれに近い。繰り返しの学習によって正解を学ぶ。
本を読むということはこれと似ていると思う。
本を読んで型を作る
多様な良い本を読むことで、それによって脳は”良い”とするものは何かを学習する。また、ある本を繰り返し読むことも同様に脳はその内容を学ぶ。
繰り返せば繰り返すほど、本の内容が脳にインストールされていく。漫画好きの人がセリフまで細かく覚えているのは、まさに繰り返し読んだことによって得られた成果だと思う。
本を読むと良いとされるのは、良書に出会うことができれば、それを何度も何度も繰り返し読んでみることで、自分の中に正解に近い型をインストールすることができるようにもなるということを意味しているためだと思う。
悪い情報を浴びることの弊害でもある
反面、悪い情報を大量に浴びることの弊害をAIが示しているな…とも感じる。
大量のデータから脳が特徴を学習するのが”学ぶ”ということなのだとしたら、悪い情報を大量に浴びることの弊害でもあるのかもしれない。
間違った情報、偏った情報、この世にはたくさん溢れている。それを無意識且つかなり偏った状態で浴び続けることで、間違った認識や価値観が作られることになるのかもしれない。
だから情報を選別することは大切、知識を選ぶことが大切ってことになるし、ではどうすれば?という点で、良い本を読むということが1つの答えになるのかな?とも思っている。
そんなわけで…
良い本を読むことが自分の成長に繋がるし、良い本に出会うことができれば、人生の困難な時期を救うツールになるかもしれないよねってことを思う。
宗教には聖典があり、それを日々読むことを信者に求めているのも、そういう意味合いがあるのかな…と今ふと思った。